◎未来有る名古屋市、未来有る中村区を目指して。

私の中にある思いは「真面目に働く人の苦しい現実をなんとかしたい」ということが第一であります。
また、将来世代には「真面目に働く人が酬われる社会」を手渡さなければならないと考えております。

◎特に力を入れている政治活動、問題  

日本は長い建設不況にありますが、その中でも個人事業主は大変厳しい状況に置かれています。個人事業主は所謂『労働者』ではありません。
それ故に、労働基準法の対象にならず、末端の仕事をする方々の賃金が、約束どおりにもらえない現実があります。
私は『真面目に働く人が酬われる社会』の第一歩として、派遣・請負社員や下請け社員などの賃金を保証する「公契約条例」の制定を目指します。
まずその理念を訴えております。末端で汗を流す人の暮らしを変えるには、国より地方の制度を変えなければ、苦しい生活は変わりません。


●高吉ひでき-これまでの活動-●

●自転車駐輪場整備の推進
 名古屋市では駅周辺等に自転車の管理駐輪場を設置しました。当初案では一律金額でしたが、一議員として独自に全戸アンケートを
行うことにより、市民の皆様のご意見を伺い、料金設定を柔軟にすることを提案し採用されました。これにより利用率が上昇し、
自転車の駐輪環境がより整備され街の美化が実現できたと共に、市の収入にもつながったと考えております。

●バス・地下鉄の広告活動
 道路を使った広告について2ヶ月以上の準備期間がかかっていたところを、業務調整を提案して広告主さんの利便性向上に努めましたマナカ導入に対しても、企画型カードや広告型カードの導入を提案しております。
 また、現在調査検討中のものとして、周囲の交通機関との広告交換が出来ないものかと考えております。
現在、東海圏の私鉄会社においては相互に運営する観光施設などの広告を交換しております。名古屋市においても同様に
博物館・美術館などの市の施設PRと私鉄関連企業の施設PRを広告が少ない路線などで交換掲載できれば、地域活性につながるので
はないかと考えております。交通局と諸施設では市の管轄および予算体系が異なるため良いスキームがないか思案中です。

●公契約条例
 所謂の下請け零細企業、一人親方などは労働者でなく事業者であります。この点から不利な取り扱いになってしまう場合があり、
最低賃金を下回る報酬しか渡されないことが稀ではありません。このような状況では末端で実際に工事にあたる人たちの意欲が
低下するかもしれません。市としての社会的責任としてまた、後で利用する際のことも考えれば、市の発注する公共工事において
最低賃金相当額を報酬として元請け企業に保証してもらう必要性があると考えております。

プロフィール


■名前:高吉ひでき



経歴

昭和55年 3月 名古屋市立千成小学校卒業
昭和58年 3月 名古屋市立豊国中学校卒業
昭和61年 3月 愛知県立惟信高校卒業
平成 3年 3月 信州大学理学部化学科卒業
平成 3年    タカヨシ電気工事勤務
平成11年    潟^カヨシ電気工事取締役
平成19年 6月 全建愛知副執行委員長
平成19年12月 名古屋市会議員中村区補欠選挙 初当選
平成20年 1月 全建愛知特別副執行委員長
平成22年5月 土木交通委員会副委員長 運輸対策特別委員会平成23年3月 名古屋市会議員選挙落選 


1980年豊国中学校、1983年に県立惟信高等学校に入学しました。電気工務店を経営をしていた父の影響を受け、工作と理科が好きでした。

1986年信州大学理学部化学科へ進学。好きだった化学への興味から決めた進学でした。また、独り立ちしろとの家族の意見もあり、
雪国信州への旅立ちを決めました。全国から集まった友人で、様々な考え方に触れると同時に、故郷を離れて名古屋の暖かみを知りました。
また旅館のサービスなど様々なアルバイトを通じ、現場で働く人々の汗の輝き、大切さを心に刻むことができました。

1991年、潟^カヨシ電気工事勤務。故郷名古屋への思いから、また現場を支える仕事をしたい考え、父の経営する会社に勤務を決めました。
実際に始めてみますと、現実の厳しさに直面することになりましたが、ものづくりの醍醐味は何にも代え難いものであると再確認できました。
しかし、 好景気に沸く大企業の影で、一所懸命働いても生活が苦しい中小企業の仲間達の現実。しばらく姿が見えない仲間の消息を聞くと、
夜逃げや自殺といった悲惨な出来事が身近にあったのです。「なんとかならないのか…」。私の心には、行政への疑問と政治への関心が大きくなってきました。

2007年6月、全建愛知副執行委員長に就任。現場の建設・工事環境の厳しさをなんとか改善すべく、仕事の傍らに勉強したり、
会合したりの日々を続けていましたところ、副執行委員長に推挙いただきました。30代で1万人を超える大きな組織の皆さんに
認められたことで自分のこれまで頑張ったことが間違っていなかったと大きな自信になりました。

2007年12月、名古屋市会議員中村区補欠選挙 初当選。私の志す『真面目に働く人の苦しい現実をなんとかしたい』の思いから、立候補を決意しました。
たくさんの人と関わりを持てる、社会に対して広い視野を持たねばならない、やりがいのある仕事は多くの人がやりたくてもやれない仕事です。
応援してくれる仲間たちに支えられての選挙戦でした。終盤は倒れそうになりましたが、あるとき「あんた、しっかりやってくれなければ困るで」と、
真剣に話されたことで「頑張らなくては」と、気持ちを新たして発奮できました。あのときの思いは決して忘れてはならないと良く振り返ります。

2010年、5月 土木交通委員会副委員長 運輸対策特別委員会。経歴を生かし、現場で汗を流す人々が酬われる社会を目指し、活動しております。


高吉ひできの姿勢